ココハル日和

2025/09/26
次男から学んだ“どっちでもいい”のチカラ

「どっちでもいい」って言葉、

自分の意思がなくて、投げやりに聞こえることもあります。

 

うちの次男は昔からよく「どっちでもいい」と言う子。

その始まりは、兄弟の関係にありました。

 

長男は、幼い頃は主張の強いタイプで…

「これがいい!」「絶対こうしたい!」と気持ちをはっきり表す子でした。

そんなお兄ちゃんと一緒に育つ中で、次男は自然とバランスをとるようになったのだと思います。

「どっちでもいいよ」

「お兄ちゃんがそれでいいなら、僕はどっちでも」

そう言って衝突を避け、場を和ませる役割を担ってきました。

 

最初は、ただの“遠慮”や“調整役”のようにも見えていたのですが、

成長するにつれてわかってきたことがあってね。

 

次男の「どっちでもいい」は、意思がないのではなく、

どちらに転んでも楽しめる柔らかさからきているのだと。

 

たとえば、夕食を決めるとき。

「今日はカレー?ハンバーグ?」と聞いても「どっちでもいい」。

それは「どうでもいい」のではなく、「どっちだって嬉しい」という気持ち。

 

「絶対〇〇!」と決めつけすぎると、

思い通りにならなかったときに心が落ちてしまう。

けれど「どっちでもいい」なら、

〇〇になってもならなくても、心は揺らされない。

だって、どっちになってもいい準備ができているから。

 

天気も同じ。

「絶対晴れてほしい!」と願うと、雨の日にはガッカリするけれど、

「晴れでも雨でもどっちでもいい」って思っていれば、

晴れは外の気持ちよさを、雨は静かな時間を楽しめる。

 

「どっちでもいい」という在り方は、意思がないようにみえるけど、

見方を変えれば、どちらの世界も受け入れられる余白を持ってるってこと。

それは中庸の強さであり、日常に小さな自由を生んでくれるもの。

 

「どっちでもいい」──は、

心揺らされることなく、おだやかに生きるための智慧なのかもしれません。

 

子どもから学んだこと。

ありがと♡