ココハル日和

2026/07/10
あなたには何色に見えますか?

「青と黒のドレスの錯覚」って知っていますか?

ネットで検索すると、すぐに画像が出てくるので、ぜひ一度見てみてください🥰

 

 

あるドレスの画像を見て、私はどう見ても「青と黒」にしか見えません。

ところが、一緒にその画像を見た友達は、

「え?白と金だよ。」

と言うのです。

同じ画像を見ているのに。

「そんなはずない!」と思って、画像を大きくしたり、斜めにしてみたり、何度も見直してみました。

でも、何度見ても私には青と黒。

友達には、何度見ても白と金。

話がまったくかみ合わない(笑)💦

 

実はこれは、「色の恒常性」という、人が無意識に光の影響を補正して色を見ようとする働きによって起こる錯覚なんだそうです。

(心理学を学んでいた時、私は「錯覚」の勉強が一番面白かったです🥰ご興味ある方は、ぜひいろんな錯覚を調べてみて下さい♡)

 

この話において、私が驚いたのは錯覚そのものではなくて、

 

「私には当たり前に見えている世界が、友達にはまったく違って見えている。」

 

ということなんです。

 

こんな話も聴きました。

たとえばね、

「赤いリンゴ」を見て、「赤色だね」って言うと、

きっと、一緒に見ている人も「うんうん、赤色だね」って言うと思います。

でも、見えている「赤」は、一人ひとり少しずつ違うはずです。

「鮮やかな赤色に見える人」「オレンジのような赤色に見える人」「黒に近い赤色に見える人」というように。

 

そう考えると、

これは色の世界だけの話ではなく、私たちが「毎日出会う世界(出来事)」に対しても同じなんだよってことです。

 

街を歩いていて、誰かとぶつかったとして…

「なんでぶつかるの?気をつけて歩いてよ!」

そう思う人もいれば、

「急いでいたのかな。」

「何か大変なことがあったのかな。」

そう受け止める人もいます。

 

起きた出来事(見ているもの)は同じ。

でも、その出来事に意味を与えているのは、それぞれの見え方や受け止め方です。

つまり、

私たちは、出来事そのものを見ているようでいて、すべて「自分なりの解釈」を通して世界を見ている。

だから、

「私はこう思った」ということと、「それが事実」ということは、必ずしも同じではない、と言うのでしょう。

 

ここでやっかいなのが、

【色の世界】なら、

「へー、そんなふうに見えるんだ」「まったく色が違って見えて面白いね~」「そんな色でも見てみたい!」

って、違いを楽しめるのに、

【起こる出来事】に対しては、

「そんなふうには考えられない!」「そんなのおかしい!」「あの人の考え方は常識外れでヘン」

って、他の解釈を受け入れられない…

 

 

だからといって、「今すぐ解釈を変えましょう」と言いたいわけではありません。

苦しいときほど、そんな簡単に解釈なんて変えられないものです。

解釈を無理に変えようとして、

「もっと前向きに考えなきゃ。」

「こんな受け取り方をする私はダメなんだ。」

自分を責めてしまうことだってあります。

私も、そうでしたから。

だからこそ、「無理に変えなくていい。」って思います。

 

でも、ずっと「自分の解釈」によって「自分が苦しめられている」のならば、

「私は今、こんなふうに受け止めているんだな。」と気づくだけで〇。

そして、

「もしかしたら、他の見え方(考え方)もあるかもしれない。」

と、もう一歩踏み込んで思えるときがあれば、それも〇。

 

 

青と黒に見える人がいて、

白と金に見える人がいるように、

私が見ている世界だけが、唯一の正解ではない。

「他の見え方もあるのかもしれない」と知ること。

 

その気づきが、

「これしかないんだ!」と硬くかたまった心を、すこーし緩めてくれる。

私は、そんなふうに感じています。